今週のお題「〇〇の成長」
「文章を書く」という事に、少しは成長したかな?と自問自答することがあります。
何故文章を書くのだろうか?その疑問が常にある
文書を書くという事は、どういう事だろうか。
たった1文であっても、それは自分の内面を形にしたことになります。
感情や気持ちを形にして見える形で外に出す。
その行為にどういう意味があるのでしょうか。
- 自分の存在を知らせる
- 自分の考えや存在を形にして残す
この二つに集約される気がします。
ブログを書くと特に意識する
私はTwitterもやっているのですが、同じ文章を書くのでもブログとは全く違います。
Twitterは瞬間瞬間を切り取って張り付けるような感じ。
ブログは「精神と時の部屋」で過ごしているような感じ。
同じ文章を書く行為でも、二つは全く違います。
先にあげた文章を書く意味を、ブログを書くときに特に意識します。
頭の中にある間は、考えがまとまっているように感じます。
しかしいざ文章にしていくと、そうでないことに気が付きます。
まるでスライムのように形を変えて、浮かんで消えていきます。
例えPVが少なくても、文章がブログに残ることで自分の存在を残すことができます。
ただ存在をそこに証明するだけでなく、自分の内面もみせます。
ブログの面白いところでもあり、怖い部分でもあります。
この先どんなSNSが出てもブログは残っていくと思う
色んなSNSが出てきますが、ブログはこの先も残っていくと思います。
短文であったりハッシュタグで会話をしてるようにつけたり、長文でまとまって書くという行為は減ってきています。
しかし、じっくりとした文章を読んでみたい、書いてみたいという欲求がなくなることはないでしょう。
とにかく書いて読んで繰り返すしかない
自分の中の考えを伝えるためには、どう書くかという事が大切です。
そのためには、ある程度テクニックが必要になってきます。
書くための方法が書いてある本を読むのもいいと思います。
それ以外の本やブログも沢山読んで、どう表現しているかという事を意識するのもいいと思います。
いざ自分で文章を書くときに、その片鱗が出てくるのではないでしょうか。
私もいろいろと文章を読んでいますが、形にして出すのが難しいと感じる日々です。
文章を書くという自問はつきない
この世界の片隅に、こんなことを言ってる人がいたんだよ。
目立たないけど存在を知ってほしい。
多分ブログを書く根っこは、そういう事なんだと思います。
日々自分自身と格闘している感じです。