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【FGOバビロニア戦線】10話感想-密林の女神ケツァル・コアトル登場

いきなり強襲、密林の女神

前回でイシュタルを味方にすることが成功した、ギルガメッシュ陣営です。

そのまま「神殺し」の斧を奪取して反撃するぞ!となったとき、彼女がやってきました。

3女神同盟の最後の1柱、ケツァル・コアトル。

彼女はウルクの街に単身で乗り込んできたのです。

流石にギルガメッシュ、焦ってましたね。

 

でも面白かったのが、イシュタルの反応です。

女神としてのプライドはありますが、明らかに格上の相手、そして戦闘狂。

あれほど苦い表情と諦めの顔をしている彼女は、珍しかったです。

ケツァル・コアトルとは

アステカ神話の主神の一人で、農耕や文明を人間に授けた神とされています。

太陽神、創造神とされ、金星の神ともされています。

怪力の持ち主で、巨岩を投げて森を平地にしたという神話が残っています。

姿は「翼をもつ蛇」として描かれます。

マヤ文明ではククルカンと呼ばれており、人類創造にかかわった最高神として崇められていました。

 

FGOのケツァル・コアトルは、怪力・戦闘好き・太陽の申し子という設定が使われています。

また神話から、「善性の頂点」とイシュタルに言われています。

 

 イシュタルも金星の神ですが、神格としてはケツァル・コアトルがはるかに上です。

父が主神でも、彼女は神々の1柱です。

神格の違いが十分判っているので、彼女は下手に手を出していませんでした。

「弱い人間がいたっていい。それが人間である証」

ケツァル・コアトルは、ククルカンとも呼ばれています。

王として人間界に降臨し、国を治めます。

「強い人間ばかりじゃない。役に立つ人間だけじゃない。弱い人間がいたっていいじゃない。そんな人が存在することができるのは、人間だけ」

ジャガーマンがケツァル・コアトルの人間観を語るシーンがあるのですが、「善性の頂点」「人間に文明をもたらした神」そのものです。

 

そうはいっても「戦闘好き」という残忍な面も、あります。

自分に命懸けで向かってくるものは命を懸けて戦うが、そうでないものと戦うときは命を奪わない。

その信念も、人間大好き!な彼女だからこそでしょう。

神様って生まれたときから不自由なのね

 10話の中で、イシュタルが漏らします。

「神は生まれたときから能力と役割を決められている」

一切無駄のない仕組みです。

神々が存在する限り、永久に変化しないという事です。

 

人間は、生まれたときに能力も役割も未定です。

成長するにつれ自分の能力や可能性を、発見していきます。

神様から見ると、役に立たないものや無駄なものがゴジャゴジャしている世界でしょう。

 

神は生まれたときから「それ以上何もない」固定された存在。

人間は「何かあるかもしれない」未知の存在。

メソポタミアの神々からみると人間は、愛する存在ではなく、無駄が多くて管理しなければならない存在に見えるのではないでしょうか。

人の無駄と未知を愛する女神

「弱いものがいてもいい」

ケツァル・コアトルは、人間の弱さや無駄を認めていることがわかります。

人間の持つ弱さと無駄を愛して、信じているのではないでしょうか。

同時に、人の可能性も信じている最高神だと思いました。

 

 

 

 

 

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