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【FGOバビロニア戦線】15話感想-どん底の絶望への幕開けとラフムに対する私的考察

加速度的にどん底の絶望へ向かっていく15話

ゴルゴーン=アナ、という図式の悲しさ。

英霊はその一生において、いろんな面があります。

名誉、栄誉、憎しみ、悲しみ、悔しさ等々、1基の英霊に対して「その時の色が濃い」存在がサーヴァントとしています。

アナはゴルゴーンの良心という存在で、ゴルゴーンは憎しみと哀しみと呪いの塊です。

姉達を守るために「英雄殺し」の化物と身も心もならざるを得なかったゴルゴーンが、良心であるアナと共に滅んでいくシーンは涙ものでした。

そしてマーリンが抑えていた「原初の母」真のティアマトがまどろみから目を覚ます事で、マーリンも脱落。

新人類である完全な生物「ラフム」が、現人類を虐殺しながら本格的に進行開始。

その様子にマスター一行だけでなく、ケツァル・コアトル、イシュタルも嫌悪感と怒りで抵抗します。

そしてキングゥに告げられる「君はティアマトの子供ではない」という真実。

ラフムは自分の兄弟だと言い張るキングゥを「オマエハトテモツマラナイ」と言い捨てて貫くラフム。

そして最後に副題の「あたらしいヒトのカタチ」が出て、15話は終わります。

 

これは絶望のどん底ではなく、これからどん底の絶望が始まります。

7章は絶望がとんでもなく深く、まだまだこんなもんではありません。

ちなみにアニメの方が、シナリオ本体よりまだソフトです。

立ち絵とテキストであれだけ絶望しましたから、マスター達のトラウマ再び回でした。

「すべてを見てきた人」ギルガメッシュは何を思うか

シドゥリがこの先どうなるか。

それだけではなく、一般国民、兵士、臣民、国土、世界そのものがどのようになっていくか彼は知っているのでしょう。

ラフム侵攻に対しても皆に「生きたいならば北壁に逃げよ!」「別れを済ませておけ」と言い放つ彼は実に堂々としています。

ですが顔には絶望ではなく、いつも通りの強気な表情と言動にあふれているところに惚れ直しましたよ。

アイデンティティをズタボロにされたキングゥ

メソポタミア神話でキングゥ(キングー)は、「原初の海の女神」ティアマトの息子であり彼女が生みだした魔物の軍団の長です。神々を殲滅する命令をティアマトから受ける神です。

その設定がバビロニア戦線でも生きています。

彼のアイデンティティは、ティアマトの息子であり、ラフムの兄であることです。

ですが「ティアマトの息子ではない」という事実を突きつけられて、今後彼は自己の存在意義がわからなくなることが想像できます。

ティアマトの息子だから母として慕い、願いをかなえようと(利用しようと)考えている彼にとって、これ以上はない衝撃です。

しかもラフムに「オマエハトテモツマラナイ」と嘲笑されながら刺されるという、彼にとって屈辱と信じていたものが崩れる、身も心もボロボロで崩壊していく終わり方です。

ここにも絶望の種がまかれています。

ラフムの残忍性に対する私的考察をしてみた

実際にラフムが動いて片言の言葉を喋っている様子をアニメで見ましたが、生理的な嫌悪感を即感じました。

アニメスタッフと演出、素晴らしいです!

それでもまだまだ、やつらがやった事をソフトに抑えていましたが。

その存在と行為で、ゲームのシナリオ中にマスター達にトラウマをうえつけた存在、それがラフムです。

ラフムは完全な生命体として生み出されたはずなのに

仮にも「原初の母」たるティアマトが生みだした「完全な生物」、新人類ラフム。

飢えも睡眠もいらず、疲れや衰えもない完全な生物。

それ単体で生きることができ、同時に集団性の高さも兼ね備えた生物。

性能だけ見れば、現人類より高性能で完成度が高い生物です。

ですが姿は奇怪な化物で、残忍性が非常に高いのがラフムの特徴です。

同じ「ティアマトの子供たち」であるイシュタルでさえも、生理的な嫌悪感と怒りを持つほど。

何故ラフムがあれほど残忍なのか、私的に考察していきたいと思います。

何故あれほどラフムは残忍なのか

ラフムの残忍性は、すごいスピードで増長していきます。

何故ラフムは残忍なのか理由を考えてみました。

  • 憎しみのゴルゴーンと封印されたティアマトが一体化したものが生んだものだから
  • 子供の無邪気な残忍性を軌道修正するものがいないから

憎しみと呪いの権化であるゴルゴーンと自身の子供たちである神々に封印されたティアマトは、一体化していました。

その時生みだしたラフムは、残忍性と人間の無邪気さを併せもって生みだされたのでしょう。

それは核となる人間性を消すほどに。

 

ラフムは生みだされたときは、子供そのものではないでしょうか。

子供は無邪気な残忍性があります。

例えば、トンボや蝶々の羽をむしり取って喜んだりしますよね。

しかし成長するにつれ、周りの大人達の躾や周囲の環境で残忍性が薄まっていきます。

トンボや蝶々の羽をむしる事は、命を弄ぶ「いけない事」だと学習します。

しかしラフムは、学習する場がありません。

持って生まれた子供の残忍性で、どんどん人々を虐殺していきます。

それが「楽しみ」であり「遊び」として、子供のもつ好奇心と残酷さが修正されないまま成長していくのではないでしょうか。

 

その証拠に、生まれたときは片言もしゃべれなかったのが徐々に人語らしきものを喋りだします。

15話のラストには、我々が理解できる人語を喋るまで急スピードで成長しています。

残忍性が修正されないまま、残酷な行為が「嗜好物」として定着したのではないかと推測します。

ラフムにとって残虐な行為は悪ではない

15話のラストのあたりで、ラフムはコロッセオで行われていた殺し合いを再現しています。

それに罪悪感もなく、アトラクションとしての楽しみしか見出していません。

この恐ろしさ。

あれらがもし人類を殲滅したら、自分たちでも同じように楽しみで殺しあうのではないでしょうか。

同じティアマトの子供なのに、何故ラフムだけそのようになるのか

メソポタミアの神々も、ティアマトの子供たちです。

同じティアマトから生まれた存在なのに、あれほど残忍に楽しんで殺し合いをしません。

恐らく「神として生まれたから」ではないでしょうか。

以前イシュタルが言っていました。

「神は生まれたときから能力と役職を与えられている」「それは変わることがない」と。

生まれながら残酷で残忍な神はいるかもしれませんが、それは「そうあるべし」存在として役割を与えられたせいだからです。

それ以外の神はそういう性質を与えられてないから、ラフムのようにならないのでしょう。

不完全な人間を完全体として生んだ結果がラフムという皮肉

人間という不完全な獣まがいの存在を排除するために、完全体の新人類ラフムがうまれました。

人間は不完全だからこそ変われる、という不完全から生まれる伸びしろ。

完全体だからこそ、持って生まれた無邪気さと残忍性が変わる余地のないフラム。

ケツァル・コアトルはフラムの残虐行為に対して怒っていましたが、怒りの根本はもっと深いところにあると思います。

進化する余地のある不完全な生命体である人間を愛する神、ケツァル・コアトル。

もしラフムが残忍でなければ、「つまらない生命体ですね」と彼女は苦笑するレベルで済ませるかもしれません。

しかし完全な生命体である以上、ラフムは残忍なままです。

改心も後悔もせず、自分が愛している存在を面白おかしく遊びで殺すラフム。

それは彼女からすれば、唾棄すべき邪悪そのものではないでしょうか。

なんという皮肉でしょう。

ラフムは生物として性能は完全体ですが、人間という存在で見たとき不完全です。

あのいびつで悪夢のような外見は、内面にある「人ではない何か」そのものです。

生理的険悪感の正体は、ここにあると思います。

人の本質は悪なのかどうか

ラフムの元を考えると、人間の本質は悪なのかどうか、という古来からの問いかけを連想します。

 

 

 

 

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