「アニメーター 水崎ツバメ」の心意気を感じる
映像研には手を出すな!7話は、「アニメーター 水崎ツバメ」の回でした。
7話サブタイトル「私は私を救うんだ!」は、悲壮感ではなく彼女の決意です。
好きな物から好きな事を見つけた彼女の、芯の強さを表しているようなサブタイトルです。
「動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ」
このセリフは、アニメーターとしての彼女の決意と熱意であり覚悟です。
同時に「私を救えるのは私だけだ」という、強い意志を感じます。
表現者としての彼女は演技の可能性に気が付いた
作中で、彼女がアニメーターとしての片りんを見せる場面があります。
彼女の祖母が器に残ったお茶を投げ捨てるとき、その水の動きを興味深く思っていることです。
そして演劇のレッスンで、「椅子から立つ」という動作1つでも様々なパターンがあり、それぞれ動きが違う事を観察しています。
祖母が歩きやすいように、という観察理由があったようですが。
歩行訓練の時の動作説明は、実に見事でした。
人の動き、物の動きに対する優れた観察眼と理解力を感じます。
このころの体験が、彼女の方向性を決定付けたのは間違いありません。
身体的な演技=動きには限界があります。
しかし2次元の演技=動きは、身体的な限界を軽く飛び超えて風、花等世界そのものの動きにチャレンジすることができます。
表現者としての彼女がその違いと可能性に気が付いたなら、両親の「役者になってほしい」という意向とそりが合わなくなるのも当然です。
彼女が求めるものは、世界の全ての動きを演じたいという事なのですから。
家族との距離感と彼女の自立の意識
水崎ツバメが自分の家族を語る時、家族との心理的な距離間をすごく感じます。
「私、お祖母ちゃんっ子だから」
と自分で言っていますが、それだけではありません。
自分の家族を父、母と呼んでいるのに対して、祖母の事は「おばあちゃん」と呼んでいます。
呼称だけでなく、自分の両親について語る時もどこか他人事です。
「放任主義」「母の夢を父が押し付けてくる」と、きっぱりと冷静に彼女は言ってのけます。
祖母の事を語る時は声を弾ませているのに、対照的です。
このセリフや言い方からも、彼女と両親で将来についてすれ違いが起きている事で、心の距離がある程度大きいことが推測されます。
あの年代なら、家族から自立していこうという心の動きが出てきます。
ましてや読者モデルとして、仕事をこなしている彼女です。
「私はアニメーターになりたい」という強い決意と目標を見つけた彼女は、精神的な自立が加速度的に進んでいるのではと思いました。
だから彼女は「私は私を救うんだ!」と決意する
彼女の人生の目標は、アニメーターです。
アニメーターになって、世界を表現する演技=動きをする。
もしできなければ、もし違う道に進むことになったら。
自分は間違いなく後悔するし嫌だ。
彼女にとってアニメーターになる事は、自分で自分を救うことです。
つまり「私を救えるのは私だけだ」という事実を、よくわかっていることになります。
他人にどうこう言われても、結局自分が納得することでしか自分を救えません。
「動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ」
このセリフが含んでいる熱量の多さ。
アニメーターという表現者としての彼女が、是非世界に知られて欲しいと応援せずにいられません。