今日で9年目を迎えた東北大震災
2011年3月11日は、東北大震災が発生した日です。
この日のことは、当時の状況を経験した人たちにとって忘れることはできないでしょう。
私は関東にいましたが、その瞬間のことをおぼえています。
そして一生忘れない体験でした。
直接の被災者は言うに及ばず、報道、物流、援助、復興、社会の様子など、一つ一つが「まさかの状況」であったと思います。
揺れが発生したときの思い出
今でも覚えています。
3月11日14時46分、その時私は外を歩いていました。
するとグラングランと世界が大きくゆらゆらし、私が曲がりながら歩いているような感覚に襲われました。
真っすぐに歩こうと思っても、蛇行してしまうのです。
「めまい?酷いめまいが?」
そう思ったときに気が付きました。
めまいではなく、自分の周囲の世界そのものが揺れている事に気が付いたのです。
そこで初めて地震が発生したと気が付き、ハッとしました。
周囲を見回すと、垂れた電線がブンブンと振れて電柱がくるくると回っているようです。
道路はしょぼいCGのように細かく立体的に揺れています。
少し揺れが収まった瞬間、周りの店や家から人が近くの駐車場に向かって走り出してきました。
私の近くを走った人が、通りすがりにこちらに向かって「危ない!」と大声で叫んだのですが、その時初めて認識しました。
低層階のビルの近くにいましたが、そこはガラスをふんだんに使っているデザインだったのです。
「ガラスが降ってくるかもしれない」と初めて認識し、私も急いで駐車場に走りこみました。
駐車場に避難した人達の間で「とんでもなくでかい地震が来た」という認識はありました。
誰かが「東北が酷いことになっているらしいぞ」といっていたのを覚えています。
「酷い揺れだったしね」という会話が聞こえてきたのも覚えています。
そして同時刻、あの規模の震災が発生していたことはニュース映像や記事を見るまで信じられませんでした。
あまりにも現実感がなくて信じられなかった
ニュース映像で、真っ黒な津波が田畑を通ってドンドン陸地の奥深くまで進んでいく場面を何度も見ました。
津波の勢いは落ちず、広く陸地を黒く塗り替えている様子は衝撃的でした。
それはまるで現実感がなくて、何を見ているのか認識が最初に追い付きませんでした。
あまりにも非日常的な光景が、連日続いていました。
そして買いだめパニックや計画停電など、人生初の出来事の連続です。
デマ情報が流れたり、根拠のない事で不安感をあおるように差別的な事をネットで発言する人、有益な情報を流す人、状況をわかりやすく整理してサイトを作る人など。
様々な動きがありました。
必要なのは感傷ではなく正しいデータと次に活かす事
この時期になると、お涙頂戴な番組がよく放送されます。
それはそれで忘れてはいけない事なのですが、感傷に浸るためだけの番組はあまり必要ありません。
今必要なのは、震災発生に関する様々なデータ分析とそれを基にした対策です。
復興のためは勿論、将来の防災対策やシミュレーションに使ったり、地震そのものの研究にも活かす事が大切です。
前に進むために、冷静で正しくデータを使ってほしいと思っています。
あの震災から心構える事が大事だと思った
「まさか」と思えるような状況になると、まず心が現実を正確に認識しない事が実体験としてわかりました。
その認識が長く続くと、命が危なくなる事もあるでしょう。
恥ずかしながら、私自身があまりにもそういう状況が発生することの心構えができていませんでした。
現実感の喪失を早く解く呪文は「災害は必ずやってくる」という心構えです。
危険を察知し行動できる。
それはつまり、自分自身が生き延びるための大原則です。
災害対策として様々な品の備蓄、準備もそれに基づく心構えと行動だと思っています。
そしてデマに騙されない冷静さの大切さ。
自分自身を守ることは、他人の生存率や救助を助ける事と同じです。
心構えをしておく、というのはありがちな結論です。
が、とても大切な事だとあの時以来実感しています。
犠牲者の方に黙祷と救助活動や復興に携わっている方々に敬意と感謝を