オタクであることは秘密
世の中には2種類の人がいます。
「自分がオタク、あるいは2次元関連の作品が好きである」
そのことを堂々と周囲に言える人といえない人です。
私は周囲に黙っています。
なせなのか?
それはかつて、大きな偏見を持たれたことがあるからです。
「女のマンが好きって、みんな腐女子ってやつなんでしょ」
昔飲み会で、うっかり漫画が好きといってしまったことがあります。
それに対して言われたのが
「女の漫画好き?腐女子ってやつか」
という男性の一言。
私はそのジャンルには全く興味がないので、きっぱり「違います」と言い切りました。
ですが相手はニヤニヤとしながら「またまた~」と返事。
言外に「隠したってわかってるんだぞ。どうせそうなんだろ?」
と、相手から感じる「オタク」へ嫌悪感と侮辱感。
追い打ちをかけるように言われたのが「だから独身なんだろ?付き合う相手もいないんだろう?一人が楽しいもんな」
(当時の相手を殴らなかった私を褒めてあげたい)
私はそれ以来、自分が漫画やアニメ、映画などを好きという事を周囲に漏らすのにとても慎重になりました。
当たり障りのない作品で誤魔化すつらさ
今よりテレビ番組そのものが話題になっていて、話題の中心になっていた時代です。
特に人気のあるタレントが出るドラマや話題の俳優が出るドラマは、話題の中心でした。
当時そういう作品は「視聴するのが当然」という空気が強くありました。
本当はほとんど興味もないのに、その作品を知っている様に装うつらさ。
テレビ欄であらすじをざっと読んでいたり、出ている俳優を軽くチェックしたり。
今から考えるとお笑いですが、周囲に合わせるために当たり障りのない作品で自分の本当の趣味を誤魔化していました。
「見てない」というと、露骨に嫌な顔をしたり信じられないという顔をする人が職場にいたのもありますが。
内心、とんでもなくうんざりしていました。
学生時代に「芸能人ならだれに似ている?」だの「芸能人ならどの人がタイプ?」とふられても、こちらは全く興味がないし知らないので困ってしまう。
そういう事はありませんでしたか?
何故か「芸能人や有名人は知ってて当然」だけど、有名なアニメや漫画、小説作品で同じように聞いても「そんなキャラは知らなくて当然」という扱いをされることが多かったです。
「好き」の方向性が違うだけなのに、いわゆる2次元が好きなだけで引かれてしまう。
それが大人になっても続いていました。
何故誤魔化していたのか
周囲の人に「気持ち悪い人」「変な人」と思われたくなかった、という一言に尽きます。
漫画やアニメが好きな気持ちはずっと持ち続けていましたが、社会人という立場で堂々と話す勇気は私にはありませんでした。
「素直に言えばすっきりしたのに」
というのはわかるのですが、やはり怖かったんです。
自分を、そして自分が好きなものを否定される、そのこと自体が。
「いい年をした人間が漫画やアニメが好きなんて、みっともない」
今は若い世代ほどそういう意識が薄れていますが、年代によってはまだまだそういう意識が強い人が多いのも事実なのです。
「好き」は譲れない
今でも、余程でない限り自分から漫画やアニメが好きな事は言いません。
しかし無理をして流行のものを好きだといったり、興味があるふりもしていません。
「テレビをあんまり見なくて」
「面白い本を見つけたので読んでいました」等々。
無難に誤魔化す手段が身についたのもありますが、結局自分の「好き」は譲れない。
そのことを自覚したのが大きいです。
歳をとっても、結局好きなものは好きなんです。
自分から吹聴する事はしませんが、尋ねられたら興味があることは言います。
先の気持ち悪い男性の事が頭に浮かぶこともありますが、それよりも「何故自分の好きを諦めなきゃならないのか」という思いの方が強いのが今の自分です。
自分の「好き」はやっぱり「好き」で変らない。
もうあんな嫌な経験する人が、少しでも少なくなるといいなと思っています。
好きなものは好き!その気持ちが勇気と元気をくれる大好きな作品です。