「評決のとき」という映画を知っていますか?
Amazonプライムでみつけて、ついつい見てしまいました。
改めて見ると、この映画と現実がそう変わらないなと感じてしまいました。
<作品情報>
裁判や弁護士物の小説で有名なアメリカの作家、ジョン・グリシャム原作「time to kill」の映画です。映画公開は1996年。
あらすじをざっと紹介します。
舞台はアメリカ南部。黒人の少女を白人男性がレイプし、逮捕されます。
レイプ事件の裁判が開かれることになり、犯人が出廷する為の移動中に被害者の父親が犯人を射殺してしまいます。
被害者の父親は有罪か無罪か?それをめぐって、様々な立場の人達が動き出します。
「アメリカ」という国の根本を感じる作品
私はこの作品は、法廷を通してみた「アメリカ」という国の根本を感じさせる良作だと思います。
裁判を利用した各陣営の勢力争い、人種差別、暴動、陪審員制度のいい面悪い面、善意搾取の詐欺、政治的野心の踏み台。
これらのことが映画の中で描かれています。
よくアメリカ関連のニュースで見ますよね、これらの事。
記憶に新しいのが、アメリカでの白人警官による黒人犯人逮捕時の死亡事件とその後の騒動の広がりです。
事件こそ違いますが、何かデジャブを感じてしまいます。
それだけ根深い問題であり、マグマのようにいつ噴き出るのかわからない状況が続いているのかと推測できます。
陪審員制度とはこういう事か、と肌で感じることができる
物語は弁護士と被告を中心に描かれていますが、陪審員制度の色々な側面を感じることができます。
「(いかに犯人とはいえ)人を殺した」という面では、殺人犯です。
しかしその動機と犯行時の心理状態において、有罪と言い切れるのかどうか。
全ては陪審員にかかっています。彼らが判断するのは、有罪か無罪かのみ。
もし有罪になれば量刑は裁判官が決定し、無罪ならばそのまま無罪です。
法の裁定の根幹を一般人の感覚で決める事。
陪審員が全員、平等に物事を判断できるわけでは当然ありません。感情を優先する人、差別意識を持つ人、どうでもいいと思ってる人、様々です。
いわゆる法廷でのプレゼンテーションの印象や駆け引きで決める怖さ。
映画の展開も気になってみていましたが、この制度にかかわる部分も興味深く見ていました。
「法と正義と民衆」を描いた作品
単純に法廷物として楽しむこともできますが、細部に注目してみるのも面白い思います。
差別の深刻さ、裁判を勢力争いや野心のために利用する現実、それをオープンにして成り立っているアメリカという国の強さと危うさ。
題材は重いですが、法と正義と民衆、という昔から変わらないテーマをきちんと扱っている良作だと思います。