はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
「雇止め」にあった
このブログに書くべきなのかどうか迷っていましたが、実は数か月前に「雇止め」になりました。
理由は、部署内の組織再編成による人員削減です。
雇止めになったあの日の心情を中心に、忘備録として残しておきたいと思います。
その宣告は突然に
某コールセンター勤務をしていたのですが、ある時上司に呼び出されていわれました。
「もう知っていると思うけど、部署内全体の組織再編成がある。そのため各部署で人員を削減しなきゃいけないんだけど、その為今回で貴方の契約更新は無しという事になった。ごめんなさい」
私は某コールセンターで勤務をしていたのですが、その中では新人でした。
はっきりいって効率は良い方ではないですが、私よりもまだ悪い人もいました。
しかもずっと病気で欠勤気味な人もいました。
頭のどこかが麻痺している感覚があり、さらに上司から続いて出た言葉が
「本当はもっと辞めるようにすすめたい人はいるんだけど、自社の人間を守らなきゃならなくて。だからあなたになってしまった。勤務態度もいいし、仕事も素直にやってくれるのに。本当にごめんなさい」
つまり私は組織再編成という名の人員整理で、各部署が出すように求められた「生贄の羊」だったという事です。
確かにね、上に書いたようにとびっきりの優秀な人間ではありませんでした。
同期がびっくりするぐらい効率よく仕事ができる人で、比べられてるんだろうなってのは感じていましたよ。
でも私、仕事に対してぐんぐん効率もよくなって調子が出てきたんだけどなーと思っていたのですけどね。
そんなことを考えながらも、頭の片隅で冷静に「やっぱりね」という感想もありました。
私の営業担当と面接したとき、「他の仕事を考えない?」という事を暗に言っていましたから。
「無理することないんだよ」と。
そして上司からの突然の宣告。
「わかりました。そうなる大人の事情は分かりますから」
上司に対して怒りも不満もぶちまけず、ただ冷静に一言。
実際に宣告されても何も言えなかった
人によってはすぐに「納得できません」と反論できるでしょう。
また冷静に第三者から見ると「そこで簡単に了承しちゃダメ。話し合いをしたいとか言わないと」と思うでしょう。
でも私はダメだった。
頭のどこかで冷静に「自社の人間を最優先に守るのは、どこも一緒。ならば派遣や他社の人間を切る。ならば優秀でない人から最優先にきることを考える」と考えたからです。
私は以前、別の職業で派遣をしていました。
丁度リーマンショックと重なった時期です。
自分達を守るのを必死で、派遣切りなんて当たり前の時期。
そんなこと、氷河期世代なら経験ある人も多いと思います。
ああ、またか。またなんだな。もう疲れたよ。
だから私は、何も反論せずに受けました。
今更ですが、正解って何でしょうね。
そしてお別れがやってきた
契約終了まで淡々と仕事をして、さようならしました。
最後まで上司は「本当に残ってほしかったのに。ごめんなさい」といってくれました。
ありがたかったです。
そういってくれる事、評価してくれたことに対しては心から感謝しています。
しかしその一方で、心が冷めているのも感じていました。
相手も仕事ですから、人員を斬る事も仕事だよね。
それに選ばれたんだよ。私は選ばれたんだよ。
怒りよりも冷酷な感情というのが、正しいでしょう。
最終日に職場から外に出た時、ホッとしたような心の荷物が軽くなったような。
でもどこかに突き刺さっている「必要のない人間」と判断された事実。
私の中で絡まっていました。
雇止めにあった後の正直な気持ち
営業担当から何件か仕事の紹介はありましたが、正直あまり進んでやりたい案件ではありませんでした。
(勤務地が遠すぎる、給料が安すぎる等の勤務条件が悪すぎる等)
今はそんなこと言っているご時世じゃないのは、わかってるんです。
でも心と体が中々前に向きません。
こうやってブログに「自分の心情を色々と書きだしたい」という思いはあったのですが、実行できませんでした。
「自分は必要とされない人間」
雇止めされると、その事がずっと心に引っ掛かるんです。
直ぐに前に進める人もいるけど、進めない人もいる。
「甘えだよ」と考える人もいるだろう。
「仕事もできないダメな人間」と思われるのが恥ずかしい。
こんな感情がぐるぐる回ってきます。
私自身の出来が悪いからこんな事態になってしまったとか、ご時世のせいにしちゃいけないとか自分を責めて責めて落ち込んだり。
かといって、日常の事に目が向いてみたり、推しの事が気になって楽しみを見つけたり。
どんな人間でも気分のアップダウンはあるのですが、ちょっとしんどい時がありますね。
不安と気楽さが交差する日々。