日常で推しグッズを見ると「おお!?」となる
観劇前やイベント会場では、推しグッズを「これでもか!」と身に着けていたりコーディネイトしている人を見ます。
そういう場所はいわば「特区」なので、推しグッズを力いっぱい前面に出していても「推しはあの人なのね」程度で済みます。(余程異常でない限り)
でも日常で推しの何らかのグッズを見ると、「おお!?」となってしまいます。
それは嬉しいのか恥ずかしいのか
日常で推しのグッズを見たときの感情。
これはなんていえばいいのでしょうか。
気が付いたとき。
先ず「あれ!?あの人、推しのグッズ持ってる」という驚き。
その後に「推しのファンがいる、同じく好きな人がいる」という嬉しさ。
二段階の感情が襲ってきます。
ここまで表面で無関心を装って、心の中でニッコリしています。
その後がちょっと複雑かも。
露骨なグッズだったら、自分が持っているわけじゃないのに慌てた気分になるし。
わかる人にはわかるさりげないグッズだったら、ほっとしたり。
いわゆる共感性羞恥心?に近いのかもしれません。
持ち歩ける人が実は羨ましい
まず自分が推しグッズを持ち歩かないので、持ち歩いてる人を見ると「勇気があるな」と思ってしまいます。
この場合の勇気は、「自分はこれが好き」と堂々という事ができる勇気です。
持ち歩いてる人はそんなことを気にしてないと思いますけど。
私は過去の経験から「自分の好き」を堂々という事を、躊躇ってしまいます。
推しグッズというキャラクターグッズですが、昔よりずいぶんデザインもよくなっているし種類も増えています。
可愛くデフォルメされているものから、イメージカラーやマークを上手にデザインに取り入れたもの、作品の世界にあるアイテムを再現しているもの、日常で使えるアイテムなど。
明かにデザイン的に「これはちょっとないなあ」というものは、ずいぶん少なくなっていると思います。
そういう意味でも、推しグッズを堂々と持ち歩く敷居が低くなっているのもあると思います。
ただあんまりな痛バックや痛Tシャツなどは、まだどんな場所でもちょっと引いてしまうかな。
「好きなもの」を堂々と示しても
好きなものを堂々と示すのは、本来勇気がいることです。
相手に馬鹿にされたり否定されたり。
「昔はオタクをばれないように隠してたのよ」
のは、それも影響していると思います。
勿論それだけではないのですが。
周囲が「あの人はあれが好きなので」で軽く流してくれるのが、一番理想的です。
自分が好きなものじゃない、趣味じゃない。
そんなものに対して馬鹿にする人が減ってくれたらいいなと思います。
推しグッズって、時にその人にとってお守りであったり心のよりどころであったり。
自分の力になることもあります。
少し考えすぎかもしれませんが、これも他人への思いやりだと思いますよ。