特定の手帳にこだわりがなくなった
まだまだアナログな手帳派の人は多いです。
私も手書きの手帳を使っています。
これだけネット上のサービスが多くある時代に手帳を持つというのは、長年の習慣だからかもしれません。
では実際にどのような手帳をもつのか。
昔は「この手帳がいい」と特定の手帳を、何も考えずに選んでいました。
しかし今はそのこだわりがありません。
何故そうなったのか書いていきたいと思います。
私の手帳遍歴
手帳遍歴をまとめると
無印良品ー>ほぼ日手帳(オリジナル)ー>ほぼ日手帳(ウィークリー)
となります。
ほぼ日手帳(ウィークリー)の後に無印良品を買ったのですが、結局は買っただけで使わず。
その後から、手帳のブランドにこだわりなく使っています。
アナログな手帳ではかなりメジャーな手帳だと思います。
紙質や書き易さでいえば、ほぼ日手帳は流石の作りです。
シンプルな上質さがありながらコスパを考えれば、無印良品です。
両方とも沢山のファンがいるのがわかります。
実際使ってみて、両方とも使い心地はいいなと思っていました。
手帳にこだわりがなくなった理由
しかしそれでもこだわりがなくなった理由は
・毎日書かなければなならないという脅迫感
・自由すぎてなにを書けばいいのかわからない
・綺麗にかけない負い目
・自分が書いた量を考えるとコスパが悪い
・同じ手帳を使っている人より使いこなせてない感じがする
手帳が悪いというより、私の意識の問題が大きいです。
書かない日の空白ページが増えることで深くなる後悔。
ネットにアップしている人のように可愛く綺麗にかけない負い目。
毎日書くことがないと思っている手帳に対する虚しさ。
「手帳を持っているだけだった」という挫折感。
結局のところ、自分で「これがいい!」と思って選んだ手帳を楽しめてなかったし、使いこなせてなかったという事です。
今思えば「手帳は何かを書かなければならない」「すてきな手帳を作っていきたい」という思いが強すぎたのかもしれません。
そんな手帳に対する挫折感を味わいながらも、来年の手帳を選ぶ事を繰り返していました。
それが虚しくて手帳を持つのをやめようと思いましたが、なければないで物足りなさがあります。
そんな時に出会ったのが100円ショップの手帳やコクヨのノート型手帳です。
手帳はいろんな物がある、という当たり前のこと
「手帳は色々な物がある」
こんな当たり前の事を、何故わかってなかったんでしょうね。
自分が手帳に何を求めているのか、選ぶときに何が譲れない条件なのか。
これさえ自分がわかっていれば、特定の手帳に固執しなくてもいいわけです。
何故100円ショップの手帳やコクヨのノート型手帳をみてハッとしたかというと、自分が手帳に欲しい条件がまとまっていたからです。
さすがに手帳用の紙質ではないですし、100円ショップの手帳ははっきりいうと作りの荒さはかなりあります。
かなり値段相応です。
でもマンスリーとウィークリーが一緒になっている物、マンスリーのみ、ウィークリーのみ多種多様です。
欄の作りで自分の好みにあえば選んでもいいのです。
コクヨのノート型手帳は、安定の書きやすいノートの紙質で薄くて丈夫です。
目から鱗が落ちるというのは、こういう事なのかも。
それ以来、私は特定の手帳にこだわらずに選ぶようになりました。
色々手帳をみる楽しみがあります。
こだわりを捨てたら手帳に対してすっきりした
今では自分なりの譲れない点を基準にして、手帳を持つようになっています。
そのせいで手帳に対して、以前より素直な気持ちです。
だから白紙のページがあっても、可愛くデコったり綺麗にかけなくても、あまり劣等感はありません。
綺麗に充実してるように書く事にまだ憧れもありますが、それはそれという感じです。
自分にあわないと思っていた手帳を使ったり使い方を真似るより、すっきりしています。