そろそろアレな世代の話をしようか

氷河期世代の雑記ブログ(趣味や日常中心)

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法事で感じた田舎の現状

私の実家は、ものすごい田舎です。

そこで法事が執り行われたのですが、その時に感じたり話に聞いたことを書いてみたいと思います。

 

田舎という世界にどんなイメージをもっていますか?

田舎と聞くと、「のんびりしたところ」とか「人の触れ合いがあたたか」なんていうイメージを持っている人もいるのではないでしょうか?

そんなのは、都市圏や街中でしか暮らしたことがない人の幻想です。

 

はっきり言いますが、「人のゴシップしか話題がない」というのが実情です。

「怪しい人がいたらすぐわかる」

「隣近所知り合いで、助け合い」

もし田舎で事件が起きたら、こんな内容の記事や証言が大体出てきませんか?

これを裏返すと、他人の動向に敏感ってことなんです。

 

他人のプライバシーにはあまり立ち入らない、という事が感覚的に常識となっている世代。

少なくとも私と同じ氷河期世代といわれる人々は、そういう感覚があります。

それとあまりにもかけ離れた人との距離感が、まだある世界です。

そりゃあ外に出ちゃうと、戻ってこないよねという感想です。

 

田舎でも世代間断絶はある

田舎において寺というのは、コミュニティの中心であることが多いです。

人が少なくなっているという面もありますが、檀家という意識もかなり少なくなっています。

事あるごとに人が集まって説法を聞いたり、そのついでに共同作業などの話し合いをしたり。

そういうことがなくなっています。

 

上に描いたような感覚はまだまだ根強く年寄り連中にはあるのですが、それを嫌う世代も同時に住んでいます。そうすると何が起こるのか?

世代間の断絶、というやつです。

 

何かと人が集まっていたことが、集まるのを嫌うようになっています。

人が集まるともてなしなどの手間が(主に嫁に)かかるから嫌がるのもあるのですが、ずけずけとプライバシーに入り込んでくる事が一番嫌われているからです。

 

だから自然と檀家という意識も、隣近所との交流も昔と比べて減っています。

自分の家がどの寺の檀家であったのか、という意識さえも薄くなっているという話を聞きました。

お寺の維持で檀家というのは、必要な存在です。

田舎の寺は今後維持できなくなって、無くなっていくのも多いのではないでしょうか。

 

 人がいればいいってもんじゃない

よく田舎集落の回復で、人が多くなればなんとかなる、という活動を目にします。

私はそうは思いません。

むしろそんな意識のまま人を受け入れても、崩壊を早めるだけではないでしょうか。

 

人との交流の仕方、距離の置き方、考え方というのは時代と共に変わってきます。

強制的に集落の思考に染めることができる時代でもありません。

ただでさえ田舎は、都会より人間関係が濃密になりがちです。

現代的な距離感や人とのかかわり方を理解していかないと、住人は集まらないしお互いにつらいだけではないでしょうか。

 

今の田舎の現状って、そういうせめぎあいだと思うんです。

 そういうことを、とても強く感じました。

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