「100日後に死ぬワニ」が終わった、らしい
少し前からTwitterで話題になっていた「100日後に死ぬワニ」ですが、3/20日に最終話が公開されました。
私は「100日後に死ぬワニ」を、一話も読んでいません。
「話題になっている」という認識ぐらいしかありませんでした。
3/20日に最終話が出た直後、コラボやグッズ、映画などの情報が一気に流れてきました。
「100日後に死ぬワニ」の最終話の話題性は最高潮になっていましたが、今度は別の意味で話題になっていきました。
そのことについて思うことを書いていきたいと思います。
最高のタイミングで最低のタイミングの告知ラッシュ
先ず大前提として、クリエイターが自分の作品で収入を得る事は当然だと思っています。
無料で創作物を見せる事は何か目的があると思いますし(仕事をもらいやすくしたり作品を知ってもらうなど)、創作物には対価を払うべきだと考えています。
しかし今回の怒涛のワニ作戦(と、勝手にコラボやグッズ、映画などの一連の展開広告と告知をまとめてこう言います)は、最高のタイミングであり最低のタイミングでした。
作品を見ていた人にとっては、作品の余韻を一気に醒ますタイミングでのワニ作戦の告知。
情緒もなにもなく一気に醒める、最低な告知タイミングです。
ワニ作戦の関係者にとっては、話題性と注目性が最高潮で最適な告知タイミング。
コンテンツと話題の消費が早い昨今では、「100日後に死ぬワニ」が最も注目度が高いタイミングでのワニ作戦の告知は関係者にとって最高のタイミングでした。
私はこの告知のタイミングを聞いて、青汁の感動CMみたいだなと思いました。
詐欺ではないけど、何処か嘘くささが漂うがっかり感。
あまりにも各種の告知が早すぎて、驚きました。
ワニ作戦をする側にコンテンツへの愛を感じない
私はこの作品を一話も読んでいませんが、コンテンツ自体の扱いに強く違和感を感じました。
作者の友達の死が影響を与えたコンテンツでありながら、「死」に対してあまりにも軽いのです。
「追悼ショップ」のあまりにもポップなデザイン、「さあ金を稼ぐぞ」という意志を強く感じるタイミングの告知。
ワニが生きていようが死んでいようが、コンテンツをとことんまでこのタイミングで利用する意思を感じます。
これはコンテンツ潰しに近いのではないでしょうか。
恐らく「Twitterで今話題の」という宣伝文句を使いたかったのかな?
そうするとテレビや広告的にも「ネットで話題の」という宣伝で、広く認知度を上げることができますし特集も組んでくれやすくなります。
手腕は見事。だが作者に今後影を落としそう
恐らく今のままでも、書籍はそれなりに売れると思います。
グッズも売れていますが、転売もされているのをフリマで確認してます。
それだけ注目が高いという事ですが、楽しんでいた人たちから見たら心証はよくないでしょう。
関係者は、「こんな商売の展開凄いよね」と好意的にとらえているのは制作経験者や関係者が多いのですが、そうでない側の「なんだかなあ」という興が覚めた冷ややかな目との落差があまりにも大きい事に注目するべきです。
一つの作品をここまで展開する手腕は見事ですが、今後作者が素晴らしい作品を描いても「どうせまたバックがあるんじゃないの?」といわれかねません。
この作者だけでなく他の作者に対しても、しばらくは同じく話題性が高くなっても素直に楽しめそうにもありません。
興が覚める人間がいる事はある程度想定済みで、それでも全体の何割かが「お客さん」になってくれればよいと思っているんだろうなとも感じます。
このワニ作戦の全体を仕切った人(がいるならば)は、このコンテンツを息の長いものとして育てる気はなかったのだと推測しています。
どちらにしろ楽しんでいた人にとっては、「自分の気持ちを利用された」「誰かの仕掛けで驚された」という最悪のマーケティングです。
告知するにしろ、もう少し「余韻」を楽しむ間を与えれば好意的に終われたのに。
マーケティングする側とされる側の意識の剥離が、あまりにも酷い騒動です。