そろそろアレな世代の話をしようか

氷河期世代の雑記ブログ(趣味や日常中心)

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「労働は悪である」とぼんやり思う

 

労働というもの

長時間労働というものは、1日何時間とか月の残業時間がどれくらいからとかそういう定義はわかりません。

しかし私は今実感しています。

そんな定義は関係なく。

労働自体が「悪」であるという事を。

 

1日働いたら、気力と体力をごっそりもっていかれる気がしませんか?

HP20~30%しか残っていない状態になります。

そこから日常生活のための必要最低限な事を行い、回復にもHPを使い。

そこから趣味?自分の為の時間?

いやいやいやいや無理無理無理。

でも人生をこなしていくためには、お金が必要です。

つまり労働は必要なのです。

しかし自分の余裕を壊していくという「悪」。

この矛盾に悩みます。

労働は気力と体力を奪う

最近実感しているのですが、労働を中心とした生活って矛盾の塊ですよね。

日々の仕事のあとで「さあ、思い切って好きなことをするぞ!」と気力がわいてくるでしょうか。

そんな気分って休日前ぐらいです。

では普段は?

自分の生活に必要な事を行うだけで精一杯ですよ。

「明日も仕事だから今日の内に○○をしておいて、△もやっておかないと」

頭の中に真っ先に浮かぶのは、こんな事。

ゴミ捨ても入浴も洗濯も掃除も、本来なら自分が快適な生活を行うために必要な事なはずなんです。

でも「仕事の邪魔にならないように」「仕事で恥ずかしい思いをしないために」という要素が、入ってきます。

お風呂に入らなかったり洗濯してない衣類を何日も着て働くのは、無理です。

そんなことをしたら、社会的な自分の死を招くだけです。

だからどんなに疲れていても面倒でも、お風呂にはいるし定期的に洗濯します。

ゴミ捨てだって、帰宅後に少しでも不快を感じないようにしたいため。

貯めてゴミ捨てする方が労力を使うので、その分仕事+αで疲れたくないし。

そんな感じ。

 

意識して自分のための時間や気力体力の配分を考えないと、あっという間に「仕事して帰って寝てまた仕事にいく」というサイクルだけの生活になります。

これが続くと自分のやりたいことや楽しいと感じること、それそのものに鈍感になるという負のスパイラル。

フルタイムといわれる時間を考えると、1日の1/3が労働時間なんです。

そりゃ自分だけの大切な時間にさく余裕がなくなるわけです。

 

こうやって書くことを改めて行うと、文章という形にまとめるのは気力を使いますね。

自分の中の散らばっているぼんやりとしたものを形にして人に見せるということは、自分の中で考えをまとめる余地がないと無理です。

 

無職の時代って、お金の心配以外は本当にのびのびしてて。

お金の心配が一番精神をゴリゴリ削るんです。

しかし、働かないというだけで心も体もとてものびのびしていたという一面は確かにありました。

まさに労働は自分の中の自分を壊す、そんな悪。

でも現実には必要な

しかし現実はシビアです。

どんな生活をするにしても、その基盤を支えるものはお金。

お金を稼ぐためには、何らかの労働が必要になってくるわけです。

そりゃあ世の中には生まれつき有り余る富や、生活するためだけに必要な収入を手にしている人もいます。

しかし。

世の中の大部分の人にとって、それは夢物語。

お金を稼ぐ手段は必要なんですよね。

なんという矛盾。

かといって怪しい儲け話は詐欺と疑えだし、情報セミナーとか商材なんてろくなモンじゃないだろうし。

世の中、ままなりませんね。

 

こんなことを書いている時点で「あなた疲れているのよ」って言われそうだけども。

 

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