珈琲断ちして3週間、葛藤との戦いだった
珈琲断ちして3週間たちました
表題の通り、3週間珈琲を飲んでいません。
理由は体調を少しでも良くしたかったから。
数週間前に胃腸の調子が悪くて悶絶していましたが、だましだまし過ごしていました。
でもついに耐えれなくなり医者に行き、「薬を出すけど、症状を改善するためにも刺激物を避けてください」といわれていました。
その一環として珈琲を飲まないようにしていました。
3週間珈琲を飲まない生活を続けていましたが、慣れるまで葛藤でした。
一番辛かったのは最初の1週間
私は珈琲を1日1杯、多くても2杯と決めていました。
これは自分の楽しみであり、決めないと際限なく飲みそうだからです。
この量なら多くの人が「やめるのは大したことじゃない」と思うでしょう。
実際私も「ちょっと我慢すればいいだけ」と思っていました。
しかし実際は、葛藤が続きました。
私は食後に珈琲を飲みます。
だから食事の締めが無くなった感じで、自分の中で食事が終わったという区切りがつかないのです。
ダラダラと物を食べたくなったり口寂しさが募ったり、物足りなさがどっと押し寄せてきます。
2~3日は「珈琲が飲みたい」という葛藤が、波のように押し寄せてきました。
そして徐々に「飲まないの?いいの?そうか」と欲求が大人しくなってきたと安心したら。
再度「珈琲が飲みたい!」と強い欲求のぶり返しが襲ってくるのです。
これがなかなか強烈で、習慣としての流れと味覚としての記憶が「飲んでたよね?飲みたい!」と殴りかかってきました。
これをグッと我慢して抑え込むのに、忍耐が必要なのです。
ちょこちょこと何かをつまんだりして誤魔化したり、薬を飲んで強制的に「薬を飲んだからダメ」と自分に言い聞かせたり。
ちょっとした日常をやめるのが、これほど葛藤が必要だとは思いませんでした。
特に珈琲は嗜好品なので、自分の楽しみを奪っている状態だからでしょう。
最初の1週間は、葛藤の波が大きく襲ってくるのが一番辛かったです。
2週間目に入ると、徐々に珈琲を飲まなくても平気になってきました。
飲みたいという感情が薄れてきて、ちょっと飲みたいかな?と思うぐらいです。
3週間目になると「特になくても困らない」というレベルになります。
珈琲を飲むという習慣をなくしたことに、体と心が慣れたようです。
その大きな助けになったのが、麦茶です。
救世主は濃い麦茶
「これはちょっと辛いなあ」と思ていたところ、濃い麦茶を飲んでみたらどうだろうか?と思いつきました。
濃い目の麦茶の風味は、どこか珈琲を感じさせるものがあります。
昔そう感じたことを思い出したからです。
そこで濃い麦茶をつくり、食事中や食後に飲むようにしました。
最初は「やっぱり違う」と正直思っていたのですが、段々と「これはこれでありかもしれない」から「麦茶美味しい。落ち着くな」と変化しました。
珈琲でない事を何とか誤魔化していた時期もありましたが、今では麦茶を楽しむ余裕も生まれています。
習慣や嗜好を矯正するのは大変
体の事を考えての珈琲断ちとはいえ、自分の習慣や嗜好を変えることは大変だなと思い知りました。
些細な習慣をやめるとストレスをすごく感じます。
嗜好品をやめると、それだけで日常の楽しみがガクンと少なくなったように感じます。
苦痛であったものを断つのではなく、楽しみなものを断つので当たり前といえば当たり前ですが。
今は珈琲を飲んでもいい状態に体調は戻っていますが、以前のように飲みたいと思いません。
飲むことはあると思いますが、飲む頻度はかなり下がると思います。
何かを諦めるのって辛いんだなと思った経験です。