カンパーニュが「まろやか」で驚いた
先日パンのカンパーニュを食べました。
するとびっくり!
なんとほとんど「甘さ」と「まろやか」しかなかったのです。
カンパーニュの酸味がほとんど消えていて、口当たりがものすごくよくなっていました。
味は確かに美味しかったです。
でも私は少し残念でした。
だってカンパーニュの酸味を食事として楽しみたかったから。
スープと合わせて食べようと思っていたのに、パンが甘いので「食事をした」という気分にはなりませんでした。
そう、まるでおやつ。
そして改めて気が付きました。
本来の酸味や塩辛さ、苦さを排除して、「まろやか」「甘い」にドンドン変更されている食品が多いことに。
これって手放して喜んでいいことなのでしょうか?
美味しさは「まろやか」「甘い」だけじゃない
TVや雑誌で食べ物の「おいしい」を表現するのによく使われる言葉があります。
「まろやか」「甘い」「口当たりがいい」です。
誰にでもわかりやすくて受け入れやすい味ですよね。
でもね、そればかりじゃ困るんです。
例えば今回のように食事でパンを食べようとしたとき、食事の邪魔をするパンなのです。
塩辛くてしょっぱい梅干しだから、白米がよりおいしく感じるんです。
酸っぱいお酢だから、調理で使い道もあるし料理のアクセントにもなるんです。
五味といわれる味覚の五大基本「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」「うま味」、そのうち「甘味」だけヤケに強調されているって、ちょっと怖くないですか?
美味しさって、そんな単純なものじゃないと思うんです。
他の味覚があるからこそ「美味しい」の幅が広がる
苦手な味覚を和らげて食べやすくする、嫌いなものを好きにするきっかけになる、味の傾向は時代とともに変わるから合わせる。
それはそれで正しいし、いいことだと思います。
しかしあまりにも偏りすぎているのではないか?と、疑問に思うのです。
美味しさって甘味だけじゃないですよね。
ほろ苦さや酸味があるから合わせて美味しいお酒もあるし、塩辛いからご飯が美味しいし、うま味があるから味に深みが出るし。
色んな味覚が複雑に織り交ざって「美味しい」の奥行きと幅が広がると思うんです。
それをどんどん排除していくのは勿体ないなあと感じます。
私はカンパーニュの持つ酸味とスープを合わせて食べるのが好きだし、昔お祖母ちゃんが漬けてくれた塩っ辛くて酸っぱい梅干しも好きだし、ゴーヤの苦味もホヤの苦味も好きだし、鮒ずしの強烈な風味の中にある旨味も好きだし、魚の旨味たっぷり含んだ薄味のすまし汁も好き。
強烈で個性的な美味しさに好き嫌いがあるのは、しょうがないです。
でも本来「美味しさ」の幅って、強烈で個性的なものが存在できるほど幅が広くて奥行きが深いと思うんですけどね。
「美味しさ」って結構複雑で、だから「食べる」という行為は楽しく感じるのだと思います。