そろそろアレな世代の話をしようか

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文字通り「ライナスの毛布」的な毛布がある

お題「自分にとっての「ライナスの毛布」」

文字通り「捨てることができない毛布」がある

ライナスの毛布」は、不安感を和らげるものか持っていることで安心できるものという解釈でいいのかな?

ならば私には「ライナスの毛布」的な存在があります。

それは文字通り毛布。

もう何十年も使っている毛布です。

ふちはぼろぼろだけど、この毛布は私にとって特別です。

ライナスの毛布」とは

ライナスの毛布」とは、直接的にはスヌーピーのライナスが常に持っている毛布をさします。

このことより、持っていることで安心ができるもの、執着するものの比喩として使われます。

いわば持ち主の精神安定剤的なアイテム、というところでしょうか。

具体的にいうと、子供が不安になると持ちたがるぬいぐるみや布、おもちゃです。

このような存在は成長するにしたがって持っていなくても安心できるようになりますが、大人になっても再度執着するものが登場する場合もあるそうです。

という事が、調べたら出てきました。

私にとって「特別な毛布」

私にとって特別な毛布は、どこにでもある毛布です。

特にいい素材が使われているとか、特別な技法で作られた極上の毛布、というわけではありません。

しかも毛布のふちはぼろぼろで、お世辞にも綺麗な見た目はしていません。

それなのに私にとって特別な一枚なのです。

 

・一人暮らしをするときにお祖母ちゃんが準備してくれたもの

・長年使っていることにより、肌に馴染みすぎているぐらいに馴染んでいる

・丁度良い重さで安心感がある

・長年一緒に過ごしてきた相棒感

 

新しい毛布のふわっとした肌触りは、とても気持ちがいいですよね。

店頭で新しい毛布を触ると、その感触の良さにニヤニヤすることもあります。

しかし。

自分にとって「特別な毛布」は、そういうものではないのです。

ふんわりではなく、ほんのちょっぴごわっとぼわっとした感触。

全身にのしかかる適度な重さの包容力。

使うたびに感じる、「これこれ、この毛布だよ」という安心感。

他人からみたら、この毛布は「もういい加減捨てろ」「買い替えろ」というに違いないでしょう。

それでも捨てられない「特別な毛布」。

それが私にとっての「ライナスの毛布」です。

 

この特別な毛布への執着心は、もしかしたらお祖母ちゃんが関係しているのかも?

今は亡き祖母が、私が一人暮らしをする時に準備してくれた布団の一つだからです。

今手元にあるもので祖母と関係があるのは、毛布ぐらいかもしれないからです。

多分まだまだ使う

私も新しい毛布のほうが肌触りはいいし、軽いのも重いのも選び放題だよっていう事はわかっています。

一時期捨てようと思って、新しい毛布も買いました。

しかし捨てれませんでした。

新しい毛布の心地よさはわかっているのですが(実際使って気持ちいい)、やっぱりこの毛布を捨てることができなかったのです。

 

多分この先も、この毛布を使い続けるのだと思います。

捨てるにしても、自分が納得いくまでもっと使ってあげたいと思います。

なんだか毛布が付喪神になってそうですけど。

私にとって「特別な毛布」は、今日も私を温めてくれます。

 

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